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予 兆
この放火事件が起きる数年前から直前までその予兆はあった。
時系列を追って紹介する。
1 起点は中越地震
平成16年10月23日、震度7という大地震がこの地越後川口を襲った。この地域にはホテルが 点在している。本件被害者とされるホテル系列が3軒、被告運営店舗を含め3軒とある意味バランスは取れていた。
ところが中越地震に被災したことにより、1軒が事実上の廃業を余儀なくされ、他方の店舗も元々経営難から再建を諦め本件被害ホテルに売却された。これにより勢力は4対1という構図となった。そうなってからの競合ホテルオーナーの言動は過激になってくる。これまで3対3の時代でも、小さなトラブルは存在していた。微々たる問題ではあったが、それらトラブルの中心には常に3軒抱えるホテルが存在していたのは紛れもない事実であった。他方のホテルは情報交換を含め互が協力し合い、地域の繁栄が個々の利益につながるという思想のもと経営に勤しんできた。然し競合ホテルは違った。他社を叩き落としてでも自己の利益という極端な利己主義を貫いき通した。それが軋轢の根本であると考えられる。
2 初の裁判沙汰
中越地震に被災し、どの店舗も復興復旧に向けて尽力をしていた。そんな最中に事件が起きた。競合ホテルが我々のホテル向かいの高台に大型看板筐体を建設をはじめ、その看板面に小型無線カメラを取り付け我々のホテル利用客の出入りをリアルタイムで撮影をし始めたのである。
競合ホテルに電話、書面(最終的には弁護士による内容証明を送付)にて警告をしたが、全く意に介さず撤去に応じなかった為に損害賠償請求訴訟を提訴するに至った。
3 財界にいがたからの取材
平成23年1月、風営法が改正され公安当局が類似ラブホを締め出しにかかった。これは良いことである。本来このようなホテルは公安への届出が必須で、当局は基本的に増やさない方針をとっていた。それにも関わらず全国では届けでの7倍近い「類似ラブホ」なるものが存在し、本来規制のかかる小学校の通学路に建設・営業をしていることが全国で問題視されたことを受けての風営法改正となった背景があった。
業界内でもこの法改正が話題となっていた。そんな折り、地元新潟県で起きている様々な事件を取り上げていた「財界にいがた」の記者から風営法改正に伴う取材依頼を受け快諾をした。
当初法改正の話で進んでいたのだが、とこから嗅ぎつけたのか近隣ホテルとのトラブルを質問された。特に隠す必要性もないと思う素直に取材に応じた。
後日記者よりそのトラブルについて記事を掲載していとの申し出があり、匿名ということを条件にこれを快諾した。その記事が以下のPDFになる。
4 民事訴訟公判継続中に起きた事件
前項2及び3で取り上げた我々が原告となって相手方ホテルを提訴した損害賠償請求訴訟が繰り広げられている最中に、連中はこのような中傷看板を掲げるというにわかには理解しがたい行動に出てきた。
財界にいがた 2010.12号
競合ホテル店舗内に設置された中傷看板
民事訴訟が継続している最中にこのような暴挙に打って出てくるという行動に異常性を感じながらも、被害拡大を最小限に留めるために裁判所へ同看板の即時撤去を求める仮諸運申請を申し立てた。
当初は所轄警察署に被害を申し出たのであるが、ホテル敷地内であることから往来する不特定多数の人間流布するものとは認められず、刑事事件として取り扱いのは難しいとして民事不介入を盾にしてきた。後に起こる事件でも警察の腰は重く、結果的に競合ホテルの愚行はエスカレートの一途をたどるのである。
6 遮光シート事件
その後も事件は頻発していたが、細かいものはこの際触れないことにする。
波多野氏が運営するホテルが広告看板を屋外に出したところ、その看板を競合ホテルがさらに看板で隠すという子供じみた事が起きた。警察に通報するもやはり民事不介入、弁護士に相談したところ、相手方の敷地内でああることから所有権の侵害には当たらないため、法的にも手出しができない。従って看板で隠せないくらい高くて大きな広告を出したらどうか、というアドバイスを受け、相応な費用をかけて大型広告シートを設置した。
ところがその大型広告シートすら遮光シートで覆い隠すという行動に競合ホテルは打って出てきた。流石にこれはいくらなんでも酷過ぎると弁護士に相談し、大型広告シート及びその前に設置した広告看板の機能を意図的に無くされたとして競合ホテルを相手に損害賠償請求を提訴した。
財界にいがたはこの事件についても以下のような記事を掲載している。
財界にいがた 2012.2号
7 再び訴訟中に誹謗中傷を繰り返す愚行
前項6の事件について相手方を提訴した事は既に触れたとおりである。ところがその訴訟が継続している最中に、波多野氏個人を誹謗中傷する看板を次々に(大別すると3段階で)掲げていくという愚行をまたも競合ホテルは行ったのである。その様子を三度財界にいがたが誌面で取り上げている。その掲載記事と誹謗中傷看板が掲げられた見取り図も以下に紹介する。
5 自称「ニンニク事件」
平成21年晩夏、競合ホテルが改修工事を実施した。これは他の業界でもよくある事だが、ライバル店に出向きどのようなリニューアルを行ったのかを知るためのマーケティングは必須である。
ところが波多野氏が競合ホテルに出向いて数ヵ月後に所轄警察から任意での取り調べを受ける事態が発生した。話によれば波多野氏が退室したあと、滞在した客室に臭の強いものが撒かれ、それによる威力業務妨害で捜査をしているという。もちろん波多野氏は身に覚えがないので関係ないと訴えた。ただその任意での事情聴取の際に捜査員が気になることを漏らしていた。それは被害ホテルの自作自演も含めて捜査していると・・・。その時波多野氏はピンと来たと言っていた。
捜査の結果、波多野氏への疑いは晴れた。しかしこの事が競合ホテルオーナーの逆恨みを買うとは今時点では誰も思わなかった。それよりもライバルの経営者を陥れる事までをも画策するのかと戦慄が走ったほどであった。(波多野氏談)
財界にいがた 2013.2号
誹謗中傷看板見取図
8 三度の仮処分申請そして事件前日
遮光シートで波多野氏運営ホテルの大型広告シート覆い隠すという理解しがたい行動に対し、損害賠償請求訴訟が継続中に起きた悪質な誹謗中傷看板の設置。規模、内容、数ともにこれまでで最悪のレベルである。波多野氏は現在進行形の訴訟の損害に、これらの中傷で受けた損害も加える検討をしていた。然しながら訴訟というものは結論が出るまで長期にわたるため、その間の被害を最小に留めるため、波多野氏は三度仮処分申請を裁判所に申し立てた。
仮処分に伴う初審尋は平成24年10月に開かれた。その席上、競合ホテルオーナーは弁護士を伴わず、しかも事前申請なくその場で証拠とする写真を提示したためルール違反も甚だしく、裁判より弁護士を同席すること、次回までに証拠となるべく諸書は期日前までに提出することとして次回期日が言い渡された。
第2回審尋は翌11月に開かれた。相手方は弁護人を伴いそれぞれの主張を申したった。ある程度和解の道筋は見えては来たのだが、相手方がこれまでの和解事項を何度も反故にしてきた経緯があることから、その辺を精査し次回期日では調書という形で和解にこぎつける流れを打ってお開きとなった。
平成24年12月19日、本件放火事件の前日となるこの日に第3回審尋が開かれた。波多野氏は弁護人とともに出席、ところが相手方は弁護人のみの出席であった。これは過去経緯からも異例である。波多野氏が原告となって相手方を訴えた時には準備書面でも陳述書に至っても徹底的に争うというファイティングポーズを常に取ってきた競合ホテルオーナーが、この審尋にだ出席をしないばかりか、基本的に争わないとした意向を弁護人が伝えてきたのである。
とにもかくにも互いに相手方の設備やサービス、その他誹謗中傷受け止められるような内容をいかなる媒体においても今後行わないとする調書を取りまとめ、また相手方が審尋期日前に自主的に誹謗中傷看板を全て撤去したことを受けて和解を成立させ、波多野氏は申し立てを同日取り下げた。
波多野氏にとってはようやく本業に専念できると安堵したという。逆にその翌日に競合ホテルをわざわざ放火を目的に出向くというのはあまりにもストーリーや動機として無理があるのではないか?
9 不穏な情報
財界にいがた2013.2号が発行されたのは平成25年2月1日、つまり波多野氏が逮捕・拘留されている最中のことである。当然取材は事前に受けており、発行される日取りも連絡は受けていた。
本件放火事件が発生する前から不穏な情報が各方面から波多野氏には届いていたという。「財界にいがた2013.2号掲載記事、写真でも分かるように競合ホテルオーナー、この地元誌を敵対視している。またこの号が出版される事を恐各方面に働きかけをしたいたとも伝わって来ている。なぜならこれまでの号は双方に配慮してホテルA、ホテルBといった匿名報道であったが、本号に至っては出版社の判断で実名報道になっていたからである。
そんな折に本放火事件は起きた。この漁夫の利の恩恵を受けたはいったい誰であろうか?
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